聖域

最近さいきんぼく尽きないつきない悩みなやみから逃げるにげるように、孤独こどくへと避難するひなんする自分じぶん気づくきづく

でも、孤独こどく危険きけん背中合わせせなかあわせのようだ。

孤独こどくなかでは、悩みなやみ静かにしずかになる代わりにかわりに大きくおおきくなっていくことがある。

それに、思い出したくないおもいだしたくないものを思い出させるおもいださせることもある。

恥ずかしかったはずかしかった瞬間しゅんかん失敗したしっぱいしたこと、悲しかったかなしかったこと、すべてが戻ってくるもどってくる

こころ泣き始めるなきはじめる

だが、ぼくはいつも孤独こどく危険きけん忘れてわすれてしまう。

ところで、どこへ逃げればにげればいいだろう。

そのことから逃れるのがれるようにしているぼくは、いつも日本にほんのことを考えているかんがえている

日本にほん日本語にほんごは、ぼくにとって聖域せいいきのような場所ばしょになった。

日本語にほんご勉強しているべんきょうしているときも、日本にほんにいたときも、ぼくぼくだ。

仮面かめんをつける必要ひつようはない。

自由にじゆうに話したりはなしたり怖がらずにこわがらずに表現したりひょうげんしたりできる。

だが、悩みなやみからいつも逃げるにげるのは本当にほんとうに良いよい手段しゅだんなのだろうか。

いつも、いつも、日本にほん逃げているにげているのはゆめなか生きているいきているようなことかもしれない。